草薙の剣の呪いと祟りの真相|見た神官の末路と歴史に刻まれた怪異

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三種の神器のなかでも、草薙の剣ほど直接的な「祟り(たたり)」の被害が公式記録に記された宝物は他にありません。その筆頭が、国の正史である『日本書紀』に記された天武天皇の病気発症事件です。

飛鳥時代の朱鳥元年(686年)6月、時の最高権力者であった天武天皇が原因不明の重病に倒れました。宮中で行われた卜占(亀卜による占い)の結果、下された診断は「草薙剣の祟り」という前代未聞の託宣でした。天武天皇は壬申の乱を制した武人皇帝であり、神剣の強力な霊威を自らの統治力に取り込もうと宮中に留め置いていたとされます。しかし、その神威は人間の身では制御しきれず、天皇の生命そのものを蝕む結果となりました。朝廷は恐れ慄き、同年6月28日に草薙剣を本来の鎮座地である尾張国の熱田社(現在の熱田神宮)へと急ぎ返還しましたが、天武天皇は回復することなく同年9月に崩御しました。

草薙の剣は、もともとスサノオノミコトが出雲で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した際、その体内から出現した天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を起源とします。大蛇という強大な怪物の荒魂(あらみたま)と、天上の神威が融合した存在であるがゆえに、単なる加護の器ではなく、一歩踏み外せば持ち主をも滅ぼす「両刃の呪力」を宿していると古来恐れられてきました。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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