明治40年(1907年)の真相|激動の事件と古銭価値・夏目漱石の転機

明治40年(1907年)の真相|激動の事件と古銭価値・夏目漱石の転機の注目ポイントを分かりやすくまとめてご紹介します。

社会が騒然とする明治40年春、日本の文学史を塗り替える劇的な人事が行われました。東京帝国大学(現・東京大学)と第一高等学校の教壇に立っていた夏目漱石が、安定したエリート教員の地位を捨てて朝日新聞社へ専属作家として入社した出来事です。

当時、最高学府の教授職を手放して一介の新聞記者(専属作家)になることは、世間から大きな驚きと批判の目で見られました。漱石は明治40年5月、東京朝日新聞紙上に自らの所信を表明する「入社の辞」を掲載し、次のように記しています。

「余は此処に文を草して朝日の読者に紹介せらるるを大なる光栄とす……教場を去って新聞社に入るの故を問ふ人あり。余は唯教場に飽きたりと答ふるの外なし」

退路を断った漱石が、職業作家としての第一作として同年6月23日から連載を開始したのが名作『虞美人草』です。虚飾とエゴイズムに満ちた近代社会を生きる男女の心理を絢爛華麗な文体で描き出したこの小説は、連載中から爆発的なブームを巻き起こしました。東京三越では「虞美人草浴衣」が発売されるなど、文学がマスカルチャーと結びついた記念碑的な年となったのです。

石川 優花

石川 優花

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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