元大関朝潮の知られざる真相|朝青龍を育てた激動の足跡と遺した功績
元大関朝潮の知られざる真相|朝青龍を育てた激動の足跡と遺した功績の見逃せないポイントを徹底的にカバーしました。
四代朝潮太郎の経歴を振り返る上で欠かせないのが、アマチュア時代から培われた卓越した土俵勘と、プロ入り後の驚異的な出世スピードです。高知県室戸市に生まれた長岡末弘少年は、近畿大学時代に学生横綱・アマチュア横綱に輝き、鳴り物入りで若松部屋へ入門。1979年3月場所に幕下付け出しで初土俵を踏むと、わずか所要9場所で新入幕を果たし、瞬く間に角界のトップ戦線へと駆け上がりました。
1983年3月場所後に大関へ昇進。得意の突き押しと強烈なぶちかましを武器に、通算成績564勝382敗74休、幕内最高優勝1回、三賞受賞14回という輝かしい記録を打ち立てます。トレードマークとなった豊かな胸毛と愛嬌のある笑顔から「大ちゃん」の愛称で親しまれ、昭和から平成初期の相撲人気を牽引しました。
1989年の現役引退後は年寄・若松を襲名し、若松部屋を創設。2002年には名門・高砂部屋を継承し、七代高砂親方となりました。その指導者人生における最大のハイライトが、モンゴル出身の若き才能、のちの第68代横綱・朝青龍明徳の育成です。類まれな運動神経を持つ一方で気性が荒く、角界の因習に馴染めなかった朝青龍を、親方は時に厳しく、時に父親のような深い愛情で包み込みました。
世間や日本相撲協会から激しいバッシングを浴びた際も、親方は記者会見で頭を下げ続けながら、弟子を決して見放しませんでした。当時の関係者は「朝青龍の圧倒的な強さは、何を言われても最後に受け止めてくれる高砂親方という絶対的な防波堤があったからこそ開花した」と口を揃えます。