千代の富士「体力の限界」真相|貴花田戦と涙の電撃引退の全記録
千代の富士「体力の限界」真相|貴花田戦と涙の電撃引退の全記録の概要と注目ポイントを一挙に解説しました。
引退当時、ファンや相撲関係者の間からは「まだ35歳、休場して怪我を治せば再び優勝を狙えたのではないか」という惜しむ声が噴出しました。現に千代の富士は、前年である1990年11月場所でも幕内最高優勝を果たしており、完全に力が衰え切ったわけではないと見られていたからです。
しかし、本人の体感していた現実と世間の見解には大きな隔たりがありました。
千代の富士は左肩の脱臼癖をカバーするため、1日500回以上の腕立て伏せを行い、僧帽筋と三角筋を鎧のように発達させて関節を固めていました。しかし35歳を超え、筋肉の柔軟性と回復スピードが急激に低下。1989年の左肩脱臼以降、土俵上で一度受けに回ると自力で体勢を立て直すことが極めて困難になっていたのです。
当時の報道陣に向けた関係者の証言によると、1991年5月場所前の稽古場では、若い衆との稽古でも息が上がり、以前なら絶対に許さなかったまわしを簡単に引かれる場面が増えていました。貴花田に力負けした瞬間、ウルフは「ごまかしながら相撲を取る自分」を許すことができず、横綱としての矜持が限界を告げたというのが引退の真相です。