おそ松さんとおそ松くんの違いを徹底解剖!クズニート化の真相とは
おそ松さんとおそ松くんの違いを徹底解剖!クズニート化の真相とはの全貌を丁寧に掘り下げてご紹介します。
ネット上のレビューやSNS等で時折見かけるのが、「『おそ松さん』は女性ウケを狙って下品なホスト風声優アニメに改変した別物」「赤塚不二夫の純粋な児童ギャグを冒涜している」という批判的な言説です。しかし、昭和カルチャーや赤塚漫画の系譜を検証すると、この批判には大きな歴史的認識のズレが存在します。
まず、赤塚不二夫という作家の真骨頂は「お行儀の良い子ども向け童話」ではなく、タブー無視のナンセンス、過激なメタフィクション、そして破壊的エネルギーでした。『天才バカボン』や『もーれつア太郎』、そして後期の『おそ松くん』でも、下ネタ、キャラクターが原作者を脅すメタ演出、全財産をスるギャンブル狂い、登場人物全員が死亡して終わるエピソードなど、極めてアナーキーな表現が日常茶飯事でした。
むしろネット配信や円盤から急遽差し替えられることになった『おそ松さん』第1話「復活!おそ松くん」――昭和の白黒映像から始まるも、「現代でウケるには美男子アイドルになるしかない」とF6に変身し、他社アニメのパロディを乱れ撃ちして幕を閉じる怪作――こそ、赤塚不二夫が1960〜70年代に実験していたメタギャグのDNAそのものです。
また、「六つ子が大人になった設定は制作陣の思いつき」という誤解も、前述の通り赤塚自身が描いた未来図『おとなのおそ松くん』などの短編群にルーツがあります。赤塚が生前描いた30歳の六つ子は、定職に就かず酒をあおり、小学生のチビ太に借金を取り立てられるような哀哀たる姿でした。昭和の読者が笑い飛ばした「赤塚流の大人の無様さ」を、現代的な「ニート・親同居」という文脈にアップデートしたに過ぎません。外見の美麗さや声優の華やかさに惑わされがちですが、本質的なスピリットは驚くほど原作原理主義に近いのです。