安中榛名駅はなぜ作られた?「政治駅」の真相と現在の姿を徹底解剖
安中榛名駅はなぜ作られた?「政治駅」の真相と現在の姿を徹底解剖に関する知りたいポイントをわかりやすくまとめました。要点を確実におさえることができます。
北陸新幹線の計画段階から現在に至るまで、安中榛名駅はなぜ作られたのかという疑問は常に議論の的となってきました。その背景を掘り下げると、日本の国土開発史における特有の力学が克明に見えてきます。
1997年10月の長野行新幹線(現・北陸新幹線)先行開業時、高崎駅から軽井沢駅の間に設けられた唯一の中間駅が安中榛名駅でした。当時から囁かれていたのが安中榛名駅の政治駅疑惑です。群馬県は中曽根康弘元首相や福田赳夫元首相、小渕恵三元首相など、昭和から平成にかけて絶大な影響力を誇った大物政治家を輩出した「保守王国」でした。駅の誘致合戦において地元選出議員の働きかけが強く働いたことは、関係者の証言録や自治体の議事録からも否定できない事実です。
しかし、単なる政治的圧力だけで新幹線駅が新設されたわけではありません。安中榛名駅の歴史と経緯を土木工学の視点から見ると、もうひとつの決定的な理由が浮かび上がります。それは、信越本線の難所であった碓氷峠を迂回し、長野方面へ登坂するためのルート選定上の制約です。高崎駅から軽井沢駅までの高低差は約800メートルに及びます。北陸新幹線は最大30パーミル(1,000メートル進むごとに30メートル登る)という急勾配を高速走行するため、線形を直線的に保ちつつ徐々に高度を稼ぐ必要がありました。その登坂ルート直下に位置していたのが安中市秋間地区だったのです。
さらに、在来線である信越本線の横川〜軽井沢間が新幹線開業に伴って廃止されたことも見逃せません。長年鉄道の恩恵を受けてきた安中市にとって、幹線鉄道網からの孤立は死活問題でした。並行在来線の分断に対する「地域補償」と引き換えに中間駅の設置を強く求めた地元自治体の悲痛な叫びと、技術的ルート設定、そして中央政界への陳情が結びついた結果が、この山中への駅新設だったのです。