X Japanメンバーの現在と軌跡|確執の真相から歴代の光影まで総括
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バンドの歴史を語る上で避けて通れないのが、草創期を支えた二人の天才との別れです。1992年1月、東京ドーム3DAYS公演の直後に発表されたTAIJIの脱退は、多くのファンに大きな衝撃を与えました。当時「音楽性の違い」と公表された理由の裏には、より根深い問題が存在していました。TAIJIが生前に著した自叙伝『伝説のバンド「X」の生と死』(徳間書店)によれば、楽曲制作のクレジット表記やギャランティの分配方法を巡り、バンドの全権を握るYOSHIKIに対して真正面から異を唱えたことが直接的な引き金でした。卓越したアレンジ力とバンドのグルーヴを担っていたTAIJIの離脱は、音楽的にも精神的にも計り知れない損失をもたらしました。
その後、新ベーシストとしてHEATHが加入し、アルバム『DAHLIA』の制作が進められたものの、YOSHIKIの完璧主義によるレコーディングの長期化、そしてToshlの精神的苦悩と脱退表明によって、バンドは1997年の大晦日、東京ドームでの「THE LAST LIVE」をもって解散を余儀なくされます。そして、最大の悲劇がそのわずか5カ月後に訪れました。
1998年5月2日、HIDEの急逝です。享年33。ソロアーティスト「hide with Spread Beaver」や「zilch」として世界を舞台に新たなロックの地平を切り拓こうとしていた矢先の出来事でした。自宅マンションで倒れているところを発見され、搬送先の病院で死亡が確認された事故は、連日ワイドショーで大々的に報道されました。警察の現場検証により突発的な事故、あるいは過度の飲酒と激しい肩こりを和らげるための牽引処置が招いた不慮の事故死である見方が有力視されています。築地本願寺で行われた告別式には約5万人のファンが詰めかけ、後追い自殺を図るファンが続出するなど、社会現象を超えた衝撃を日本社会に刻みつけました。このHIDEの不在こそが、解散後のメンバーそれぞれの人生を大きく狂わせ、同時に再結成の強い動機となっていきます。