指圧の心は母心と呼ぶ理由|浪越徳治郎の誕生秘話とモンローの真相
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昭和のテレビ界で一世を風靡した「指圧の心は母心」の元ネタ・由来は、今から1世紀以上前、大正初期の北海道留寿都(るすつ)村にまで遡ります。香川県多度津町で生まれた浪越徳治郎は、7歳のときに一家で北海道の後志地方へ集団移住しました。しかし、迎えた現実は見渡す限りの原野と、マイナス30度にも達する猛烈な極寒環境でした。
過酷な開拓作業と厳しい気候は、徳治郎の母・マサの身体を容赦なく蝕みます。マサは全身の関節が腫れ上がって激痛に悶える「多発性関節リウマチ」を発症。当時の開拓地には医者も薬もなく、痛みに耐えかねて呻く母親の姿を、7歳の徳治郎はただ見ていることしかできませんでした。
「なんとかして母の苦しみを和らげたい」――その一心で、少年・徳治郎は母の痛む膝や手首、肩を小さな両手でさすり始めました。最初は手掌で撫でていたものの、母が「揉まれると痛むが、押されると少し楽になる」と漏らした一言を聞き逃しませんでした。徳治郎は指先や親指の腹を使い、母の表情を必死に見つめながら、最も痛みが和らぐ圧力の強さと角度を毎日何時間も模索し続けます。
徳治郎が生前、自著や手記で語った回想録には、当時の胸を締め付けるような情景が次のように記録されています。
『母の冷え切った関節に指を当て、ただ良くなってくれと念じながら押し続けた。私の親指が母の痛みを消し去ったあの日、母が流した涙と笑顔こそが、私のすべての始まりだった』
少年の献身的な手当てはやがて奇跡を起こし、寝たきりだった母・マサの関節痛は劇的に寛解。自力で歩行できるまでに回復を遂げたのです。相手を無条件に慈しみ、苦痛を取り除こうとする純粋な母への情愛。これこそが、後に徳治郎が掲げた「指圧の心は母心」という哲学の決定的な原点でした。