「足るを知る」とは?我慢や妥協ではない老子の本質と幸福の極意

「足るを知る」とは?我慢や妥協ではない老子の本質と幸福の極意について押さえておきたい 事実を厳選して解説いたします。

「足るを知る」思想は、老荘思想にとどまらず、仏教の根幹をなす教えとしても東アジアおよび日本文化に深く浸透していきました。釈迦が入滅の直前に弟子たちに残した最後の説法とされる『仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっすいはつねはんりゃくせつきょうかいきょう/遺教経)』には、知足の本質が鋭利な対比によって描かれています。

「汝ら比丘、もし諸の苦悩を脱せんと欲せば、当に知足を観ずべし。知足の法は、即ちこれ富楽安穏の処なり。知足の人は、地に臥すと雖も猶お安楽なりとす。不知足の者は、天堂に処すと雖も亦た意に称わず。不知足の者は富めりと雖も而も貧し、知足の者は貧しと雖も而も富めり。」

床に直に寝るような困窮生活であっても知足の心があれば心は安らかであり、どれほど天上の宮殿に住まおうと満足できなければ苦痛に悶える、と釈迦は喝破しました。

この仏教的「知足」を視覚的に結晶化させた代表作が、京都の世界遺産・龍安寺に安置されている「知足の蹲踞(つくばい)」です。水受の四角い窪みを漢字の部首「口(くち)」に見立て、周囲に刻まれた「五・隹・矢・疋」と組み合わせることで、反時計回りに「吾唯知足(われただたるをしる)」と読ませる秀抜な意匠となっています。水戸光圀の寄進とも伝わるこの手水鉢は、「自分にとって何が十分であるかを弁えている人間だけが、心の平安を得られる」という禅の深遠なメッセージを今なお来訪者に投げかけ続けています。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

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