ジャンヌ・ダルク最後の言葉の真相|火刑台のイエスと19歳の悲劇
ジャンヌ・ダルク最後の言葉の真相|火刑台のイエスと19歳の悲劇の注目されている理由を丁寧にまとめました。全体像を一目で把握できます。
現代において広く流布している誤解の一つに、「ジャンヌ・ダルクは魔女として火炙りにされた」という説があります。しかし、ジャンヌ・ダルク処刑理由と経緯を法的な観点から紐解くと、事態は極めて狡猾な教会法上の政治工作であったことが判明します。
裁判を主導したのは、親イングランド派のボーヴェ司教ピエール・コーション裁判長でした。イングランド軍にとって、自軍を完膚なきまでに叩きのめしたジャンヌを生かしておくことは許されず、同時に「神の使い」と信じられていた彼女を正式な異端者として貶めることで、彼女に戴冠されたフランス王シャルル7世の正統性を根底から覆す必要があったのです。
1431年2月から開始された異端審問裁判記録の真相を追うと、文字の読み書きもできない無学な農村出身の少女が、当代一流の神学者・法学者数十人を相手に驚嘆すべき受け答えをしていた事実が浮き彫りになります。例えば、「そなたは今、神の恩寵の中にあるか」という罠の問い(「はい」と答えれば傲慢の罪、「いいえ」と答えれば恩寵なき罪人となる)に対し、彼女は平然とこう言い放ちました。
「もし恩寵に浴していないなら神が私を導いてくださいますように。もし恩寵にあるなら神が私をとどめてくださいますように」
神学者たちを沈黙させたこの受け答えに見られるように、審理の中でジャンヌから明確な異端の言質を取ることは不可能でした。そこでコーション裁判長が仕掛けた最終兵器が「男装の罪」です。聖書(申命記第22章)における「女は男の着物を身につけてはならない」という記述を楯に取り、彼女を追い詰めました。
一時は処刑の恐怖と巧妙な誘導尋問により、署名内容も十分に理解できないまま「二度と男装をせず、教会の指示に従う」という誓絶文(撤回書)に署名させられたジャンヌでしたが、収監された牢獄内でイングランド兵による度重なる暴行未遂に遭い、身を守るため、あるいは脱ぎ捨てられた女性用の服を奪われた結果、再び男性の衣服を身に着けざるを得なくなりました。これを確認したコーション裁判長は「異端の再犯(ルプラス)」を宣言。教会法上、異端を一度撤回した者が再び異端に逆戻りした場合は、弁明の余地なく世俗刑罰(火刑)に引き渡すという規定を悪用し、合法的な抹殺を完了させたのです。