コント55号・坂上二郎の真実|欽ちゃんとの絆と闘病の知られざるドラマ
コント55号・坂上二郎の真実|欽ちゃんとの絆と闘病の知られざるドラマにまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。
坂上二郎は1934年(昭和9年)4月16日、鹿児島県鹿児島市に生まれました。鹿児島商工高校(現・樟南高校)を卒業後、彼が胸に抱いていた夢はお笑い芸人ではなく、一人の「演歌歌手」でした。NHKのど自慢の鹿児島県大会で優勝を果たした歌唱力を武器に上京し、名歌手・青木光一に弟子入り。しかし、当時の歌謡界の壁は厚く、歌手としての道は容易には開けませんでした。
生活のために飛び込んだのが、ストリップ劇場として知られた浅草フランス座の舞台でした。幕間をつなぐコントの役者として舞台に立つなかで、坂上二郎は天性のコミカルな間合いと豊かな表現力を磨いていきます。そこで運命的な出会いを果たしたのが、後に唯一無二の相棒となる萩本欽一でした。
1966年、二人は「コント55号」を結成。当時の演芸界の主流だった漫才や落語とは一線を画し、台本をあえて固定せず、舞台上を縦横無尽に走り回るアクロバティックなコントスタイルを確立します。緻密な計算で舞台をコントロールする萩本と、その計算を野生的な勘と圧倒的な愛嬌で軽々と飛び越えていく坂上のコンビネーションは、日劇の舞台で即座に観客を熱狂させました。
テレビ界に進出すると人気は爆発し、『コント55号のなんでそうなるの?』(日本テレビ系)や『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』など、手がける番組は軒並み視聴率30%超を記録。スタジオ狭しと汗を飛ばし、アドリブの応酬で笑いを巻き起こす二人の姿は、まさにテレビ黎明期の熱気そのものでした。