後藤象二郎の生涯と功績|龍馬暗殺の黒幕説から華麗なる子孫まで徹底解剖
後藤象二郎の生涯と功績|龍馬暗殺の黒幕説から華麗なる子孫まで徹底解剖の特集記事をご紹介します。役立つ情報が満載です。
後藤象二郎の人間関係を語る上で欠かせないのが、同郷の板垣退助と岩崎弥太郎です。
幼馴染であった板垣退助とは、生涯にわたる盟友でした。征韓論で明治新政府を去った二人は、明治7年(1874年)に日本初の政党とされる「愛国公党」を結成し、自由民権運動の狼煙を上げました。後に板垣が岐阜で暴漢に襲撃された際、象二郎は現場に急行して懸命に介抱したという逸話も残っています。政府外から圧力をかけつつ、巧みに政界復帰を狙う二人のコンビネーションは明治政界の台風の目となりました。
一方、三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎との関係は、政商と政治家の枠を超えた深い絆で結ばれていました。土佐藩の地下浪人という低い身分だった弥太郎の商才をいち早く見抜き、長崎の「土佐商会」主任に大抜擢したのが象二郎です。
維新後、象二郎が長崎の高島炭鉱経営に乗り出して巨額の負債を抱えた際には、弥太郎が炭鉱を買い取り、象二郎の危機を救いました。三菱の海運事業発展の陰には象二郎による政治的庇護があり、二人の蜜月関係が近代日本屈指のメガコングロマリット誕生の礎となりました。