東京湾観音の真実|建立の裏側と心霊の噂・絶景の全貌
東京湾観音の真実|建立の裏側と心霊の噂・絶景の全貌の全体像を分かりやすくまとめてご紹介します。
東京湾観音の起源を紐解くうえで欠かせない人物が、東京・深川の材木商であった宇佐美政衛(うさみ まさえ)氏です。莫大な私財を投じてこの巨像を建立した背景には、過酷な戦争体験と、平和への痛切な誓いがありました。
宇佐美氏は第二次世界大戦中、東京大空襲の惨禍を目の当たりにし、多くの尊い命が失われていく悲劇に強い衝撃を受けました。戦後、復興とともに日本が目覚ましい経済発展を遂げる一方で、戦争の記憶が風化していくことに強い危機感を抱いた宇佐美氏は、「二度と戦争の惨劇を繰り返してはならない」「戦没者の魂を永遠に慰霊し、世界平和を祈り続ける拠点を築きたい」という一念から、観音像の建立を決意したと当時の記録に記されています。
建立地に選ばれたのは、千葉県富津市の大坪山(標高約120m)の山頂でした。東京湾の入り口に位置し、太平洋と内海を望むこの要所は、かつて防空監視所などが置かれた軍事的な歴史を持つ場所でもありました。戦の記憶が残る地に平和の象徴を打ち立てることに、宇佐美氏は強い意義を見出したのです。
像の原型制作を手掛けたのは、日本藝術院会員としても名高い高名な彫刻家・長谷川昂(はせがわ こう)氏です。長谷川氏が手掛けた柔和で気品ある表情は、コンクリート建造物でありながら温かみを感じさせ、1961年(昭和36年)に完成して以来、半世紀以上にわたり東京湾を見守り続けています。
東京湾観音の高さは56メートルに達します。これは奈良の大仏(像高約15メートル)の3倍以上、自由の女神像(台座を除く像高約46メートル)をも凌ぐ規模です。当時としては日本最大級の鉄筋コンクリート造の巨像であり、建築技術の粋を集めた一大事業でした。