真田広之の若い頃が国宝級!Jac伝説から世界的快挙への軌跡

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甘いマスクを持つ彼が、なぜ安易なアイドル路線に溺れなかったのか――その答えは、彼が育った過酷な環境にあります。真田広之は5歳で幼児劇団ひまわりに入団し、子役として映画『浪曲子守唄』(1966年)でスクリーンデビューを果たしました。この時に父親役として共演したのが、後に彼の運命を決定づける世界的アクションスター、千葉真一でした。

中学入学と同時に、真田は創設間もないJAC(ジャパン・アクション・クラブ)に4期生として入団します。「千葉真一の愛弟子」として直弟子どもと共に受けた訓練は、過酷という表現では生ぬるいものでした。毎朝5時からのロードワーク、極真空手をベースとした格闘技の組手、器械体操、乗馬、日舞、殺陣。千葉真一の手記によると、「広之はどれほど体が悲鳴を上げても、絶対に弱音を吐かず、誰よりも遅くまで道場に残って木刀を振っていた」と記されています。

その実力が世を驚かせた代表作が、深作欣二監督の映画『魔界転生』(1981年)であり、角川映画の大作『里見八犬伝』(1983年)でした。『里見八犬伝』で犬江親兵衛役を演じた真田は、薬師丸ひろ子演じる静姫を守る若武者として、荒れ狂う城のセットを縦横無尽に駆け巡りました。CG技術が存在しなかった昭和末期、ヘリコプターからのダイブや、数十メートルの断崖絶壁からの滑降、火薬が爆発する至近距離での立ち回りを、すべてスタントマンなしの生身で演じ切ったのです。

現場の助監督が残した当時の証言によれば、「真田さんの刀のスピードがあまりに速すぎて、カメラのフレームから外れてしまい、NGではなく『頼むから少しだけ刀の振りを遅くしてくれ』と監督に懇願された」という逸話まで残っています。JAC時代に叩き込まれた殺陣とアクションの超絶技巧こそが、彼を単なる美青年から「誰も真似できない本物の表現者」へと押し上げる絶対的な武器となりました。

阿部 裕樹

阿部 裕樹

エンタメ専門ジャーナリスト

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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