浅間山荘事件でカップヌードルが普及した真相|極寒中継と誕生秘話
浅間山荘事件でカップヌードルが普及した真相|極寒中継と誕生秘話に関する専門家の意見を詳しく解説いたします。
事件発生から10日目の1972年2月28日、警察は鉄球クレーン車と放水車を投入した強行突入作戦を敢行しました。NHKおよび民放各社は朝から作戦完了まで異例の終日生中継を実施。この日の総世帯視聴率は、ビデオリサーチ関東地区調べで歴代最高となる89.7%(NHKの単独視聴率だけでも67.8%)を叩き出しました。
鉄球が山荘の壁を打ち砕き、放水と催涙ガス、激しい銃撃戦が繰り広げられる中、中継カメラは現場で待機・交代する機動隊員たちの生々しい表情も捉え続けました。白い雪景色の中、防弾ヘルメットをかぶった隊員たちが、湯気もうもうと立ち上る白いカップを両手で包み込み、美味しそうに麺をすする姿が何度も大写しになったのです。
「あの隊員たちが食べている、湯気の立つ容器入りの食べ物は一体何なんだ?」――緊迫した事件の成り行きを見守っていた全国数千万人の視聴者の間に、強烈な視覚的インパクトと強烈な食欲(シズル感)が植え付けられました。当時、カラーテレビの普及率は約60%を超えており、湯気と赤・金・白の斬新なパッケージデザインは、お茶の間の関心を一瞬で惹きつけました。
作戦終了直後から、全国の小売店やスーパーマーケットには「テレビで警察の人が食べていたラーメンはあるか」という問い合わせが殺到。日清食品の営業所には問屋からの注文電話が鳴り止まない状態となり、生産が追いつかないほどの爆発的購買ブームが巻き起こったのです。