いにしえの奈良の都の八重桜の真実|伊勢大輔が放った即興劇の深層
いにしえの奈良の都の八重桜の真実|伊勢大輔が放った即興劇の深層の全体像を丁寧に掘り下げてご紹介します。
Q1:この歌が詠まれた場所は、奈良の平城京だったのですか?
A1:いいえ、詠まれた場所は平安京(京都)の内裏(宮中)です。奈良の興福寺から献上されて届いた八重桜を前にして、「かつて奈良の都で咲いていたこの桜が、今日はこの京都の宮中で美しく咲いている」と詠んだ状況設定です。
Q2:伊勢大輔(いせのたいふ)とはどのような人物ですか?
A2:平安時代中期の歌人で、三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人です。大中臣能宣の孫にあたり、一条天皇の中宮彰子に仕えました。機知に富んだ歌才で知られ、後に高階成順と結婚。80歳を超える長寿を全うし、晩年まで宮廷歌壇で重きをなしました。
Q3:なぜこの歌は『百人一首』だけでなく『詞花和歌集』にも選ばれたのですか?
A3:『詞花和歌集』の撰者である藤原顕輔が、その洗練された技巧と歴史的背景を高く評価したためです。即興でありながら八重と九重の掛詞、古都と平安京の対比が見事に調和しており、平安時代を通じて即興歌の最高峰として称賛され続けた結果、藤原定家によって百人一首の61番にも選出されました。