怪童・久島海の早すぎる死因と伝説|田子ノ浦親方の無念と弟子たちの現在
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大相撲の歴史を振り返っても、「学生時代にこれほど恐れられた力士はいない」と断言される存在が久島海でした。和歌山県新宮市に生まれた久嶋啓太少年は、幼少期から規格外の体躯を誇り、新宮高校相撲部時代から全国にその名を轟かせます。高校生でありながら大人の実業団選手を薙ぎ倒し、高校横綱をはじめとする主要タイトルを総なめにしました。
名門・日大相撲部へ進学すると、その剛力はもはや手がつけられない領域へと突入します。大学1年生にして社会人を含めた日本一を決める全日本相撲選手権大会で優勝を飾り、久島海はアマチュア横綱の座に就きました。学生の1年次優勝という快挙にとどまらず、2年、3年と大会3連覇を達成。大学時代に獲得した個人タイトル数は驚異の28冠に達し、当時の学生相撲界における歴代最多記録を樹立しました。
怪獣映画にちなんで「ネッシー」、あるいはシンプルに「怪物」の愛称で呼ばれた久島海が伝説と呼ばれる理由は、単に勝ち星を重ねたからではありません。立ち合いから圧倒的な圧力で相手の上体を起こし、怪力で両差しを極めて土俵の外へと豪快に放り出す「極め出し」は、対戦相手の腕の関節を破壊しかねないほどの威力を誇り、恐れられていました。
鳴り物入りで名門・出羽海部屋へ入門した久島海は、1988年1月場所、当時の規定に基づいて幕下付け出し(最下位格=60枚目格)でプロの初土俵を踏みました。デビュー場所では桁違いのパワーを遺憾なく発揮し、7戦全勝で幕下優勝を飾ります。翌場所には早くも十両昇進を決め、初土俵からわずか7場所で新入幕を果たすなど、誰もが「次代の横綱は久島海で決まりだ」と確信していました。