三島由紀夫の首写真と介錯の真相|市ヶ谷事件の記録と遺体返還の全貌

三島由紀夫の首写真と介錯の真相|市ヶ谷事件の記録と遺体返還の全貌の総合ガイドをご紹介します。最新トレンドが詰まっています。

1970年11月25日午前10時58分、三島由紀夫(本名・平岡公威、当時45歳)は、自身が結成した民間防衛組織「楯の会」の学生長・森田必勝(当時25歳)、古賀浩靖、小賀正義、小川正洋の4名を伴い、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部を訪れました。表向きは名刀「関孫六」の鑑賞を名目とした益田兼利総監との定例面会でしたが、室内に通されるやいなや短刀と軍刀を抜き、益田総監を拘束。部屋をバリケードで封鎖しました。

騒ぎに気づいた幕僚らが次々と突入を試みるも、三島は関孫六を抜いて応戦し、自衛官ら複数名に重軽傷を負わせる事態へと発展します。総監の命を盾に取った三島は「全自衛官の集合と演説の拝聴」を要求。午前11時38分、額に「七生報国」の鉢巻きを締めた三島は本館2階バルコニーに立ち、広場に集まった約1,000名の自衛官に向けてクーデターを呼びかける憲法改正の檄を飛ばしました。

しかし、頭上を旋回するマスコミのヘリコプターの爆音と自衛官たちの激しい怒号、罵声に遮られ、演説はわずか10分足らずで頓挫します。「もう自衛隊が立ち上がらないことは分かった。これで私の自衛隊に対する夢は消えた。天皇陛下万歳!」――そう叫んで総監室へ戻った三島は、あらかじめ綿密に計画されていた「死の儀礼」へと直ちに移行しました。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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