松本恵奈がEmodaを辞めた真相と電撃退任の裏側|Claneの今
松本恵奈がEmodaを辞めた真相と電撃退任の裏側|Claneの今を詳しくリサーチ! 読者が気になる トピックの裏側を凝縮して配信します。
松本恵奈の原点は、雑誌『ViVi』などの読者モデルや渋谷109のカリスマ店員として注目を浴びた時代にあります。1985年11月23日生まれ、三重県出身の彼女は、販売員時代から圧倒的なスタイリングセンスと発信力で頭角を現しました。2009年、わずか23歳でマークスタイラーの新ブランド「EMODA」の立ち上げプロデューサーに抜擢されると、モノトーンを基調としたモードギャルという新ジャンルを開拓。当時全盛だったフェミニンやコギャル路線とは一線を画す世界観で、瞬く間にメガヒットを記録しました。
彼女の退任後、ブランドの求心力を維持するためにエモダの歴代プロデューサーやディレクター陣には大きな期待が寄せられました。松本恵奈の右腕として初期からブランドを支えていた皆川果名(かいな)氏をはじめとする実力派スタッフが制作の指揮を引き継ぎ、時代に合わせてストリートテイストやカジュアル要素を取り入れながらブランドの存続を図りました。
しかし、ブランドの創業者であり唯一無二のアイコンだった松本恵奈の存在感はあまりに大きく、ファンコミュニティの間では「松本恵奈=EMODA」という固定観念が強固でした。プロデューサー交代以降のEMODAは、個人崇拝型のアパレルから、安定したトレンド供給を行う組織型SPAブランドへと舵を切ることになりました。