生類憐れみの令はなぜ出された?天下の悪法の真相と教科書の大転換
生類憐れみの令はなぜ出された?天下の悪法の真相と教科書の大転換の重要なポイントについて、分かりやすい解説を詳しくお届けします。
生類憐れみの令にまつわる最も有名な逸話が、「額にとまった蚊を叩き潰した侍が流罪になった」という話です。このエピソードは、同時代の旗本・戸田茂睡が記した私撰の記録『御当代記』や、後世に書かれた風聞書『三王外記』などに登場します。しかし、幕府の公式判決録や司法文書をどれほど調査しても、蚊を殺したこと単体を理由として処罰された記録は一件も存在しません。
実際に処罰された記録を精査すると、処分を受けた者の大半は、職務を怠慢した武士や、法令を公然と無視して乱暴狼藉を働いた旗本たちでした。当時の武士は「切り捨て御免」の特権意識を引きずっており、町人の飼い犬を辻斬りの試し斬りに使うような事例が後を絶ちませんでした。綱吉はそうした武士の傲慢さを抑え込む見せしめとして、規律違反を厳しく断罪したのです。
また、現在の東京都中野区に建設された広大な中野犬小屋についても、単なる道楽施設ではありませんでした。当時、江戸の市街地には大量の野犬が徘徊しており、乳幼児が噛み殺される痛ましい事故が頻発していました。狂犬病の蔓延を防ぎ、市民の安全を守るためには、野犬を隔離して保護飼育する巨大な公衆衛生シェルターが必要だったのです。獣医に相当する「犬医者」を配置し、餌の管理や病気治療を行うシステムは、都市管理の観点から見れば極めて合理的かつ先進的な施策でした。