水戸光圀とはどんな人物?黄門様との違いや漫遊の真相・功績を徹底解説
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「名君」の代名詞とされる光圀ですが、十代の頃は手が付けられないほどの乱暴者であり、いわゆる「傾奇者(かぶきもの)」として知られていました。吉原遊廓に通い詰め、辻斬りの真似事をして周囲を震え上がらせるなど、不良少年そのものの荒れた日々を送っていたと記録されています。
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その荒んだ生活を一変させたのが、18歳の時に読んだ中国の歴史書『史記』の「伯夷・叔斉(はくい・しゅくせい)伝」でした。兄弟が互いに家督を譲り合い、仁義を貫く姿に激しい衝撃を受けた光圀は、それまでの非行を深く猛省。髪を整えて服装を改め、本格的な学問と武芸の道へと邁進する劇的な変貌を遂げました。
【水戸光圀の主な略年表】
- 1628年(寛永5年):徳川頼房の三男として江戸小石川邸にて誕生。
- 1633年(寛永10年):6歳で水戸藩の世継ぎに決定。
- 1661年(寛文元年):34歳で水戸藩第2代藩主に就任。
- 1690年(元禄3年):63歳で藩主の座を甥の綱條に譲り隠居。「中納言(唐名:黄門)」に任官。
- 1691年(元禄4年):常陸太田の「西山荘」へ移り住む。
- 1700年(元禄13年):西山荘にて73歳で逝去。