御落胤とは?隠し子との違いや徳川家康・皇族伝説の真相を検証
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皇族や朝廷にまつわる御落胤伝説の中で、歴史的信憑性が極めて高いとされているのが、室町時代の名僧・一休宗純(一休さん)です。一休は後小松天皇の落胤と伝えられており、母は南朝に仕えていた高官の娘でした。北朝と南朝の対立という政治的配慮から宮中を追われ、民間寺院で出家させられた経緯があり、皇室の私設文書や当時の記録からもその血統は半ば公然の事実として扱われています。
また、中世から近世にかけては、武士たちが己の権威や領地支配の正当性を高めるため、家系図の改ざんを行って「実は高貴な人物の御落胤である」と主張する事例が多発しました。源氏や平氏、あるいは皇族の末裔を自称することで、家格を引き上げようとしたのです。
南北朝時代の動乱期に端を発する「後南朝」の皇胤を名乗る勢力も、室町から戦国期にかけて各地で反乱や勢力拡大の旗印として御落胤の伝説を掲げました。