中森明菜のデビュー曲は少女Aではない!名曲スローモーション誕生秘話

話題沸騰中の 中森明菜のデビュー曲は少女Aではない!名曲スローモーション誕生秘話について、多角的な視点を整理して公開しています。

日本テレビ系の伝説的オーディション番組『スター誕生!』において、中森明菜は決して順風満帆なエリート候補生としてスタートを切ったわけではありませんでした。1979年の初挑戦、翌年の2回目の挑戦では本選にすら進めず、審査員から「選曲ミス」「年齢に合っていない」と厳しい評価を下される挫折を味わっています。

しかし、1981年7月11日に放送された第38回決戦大会で事態は一変します。当時15歳だった彼女が選んだ勝負曲は、山口百恵の『夢先案内人』でした。少女らしい愛らしさと、年齢離れしたアンニュイな情感を同居させた圧巻のパフォーマンスは、番組史上最高得点となる392点を叩き出します。審査員席から掲げられたスカウトのプラカードは実に11社。ワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージック・ジャパン)と研音のタッグが獲得権をもぎ取り、歌姫のプロへの扉が大きく開かれたのです。

翌1982年5月1日、16歳(高校2年生の春)で発売されたデビュー曲が『スローモーション』(EP盤規格品番:L-1600)でした。当時の所属レコード会社が彼女に冠した公式キャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」という、現代から見ればやや際どい言葉遣いのものでした。

このキャッチコピーが付けられた背景には、当時のワーナー担当プロデューサー陣による「清楚一辺倒のアイドルが飽和する市場で、健康的な色香と少女の無垢さを同時にアピールし、ティーン男子の目を引かせたい」という営業上の戦略がありました。後年のインタビューや手記において、本人はこのフレーズに対して「恥ずかしくてたまらなかった」「自分の歌いたい音楽とギャップがあった」と素直な困惑を述懐していますが、そのアンビバレントな違和感こそが、後のセルフプロデュース能力を開花させる強いエネルギー源となっていったことは見逃せません。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest