ホノルル空港改名の理由とは?ダニエル・K・イノウエの壮絶な生涯
ホノルル空港改名の理由とは?ダニエル・K・イノウエの壮絶な生涯の詳細について、最新情報を詳しくお届けします。
ダニエル・ケン・イノウエ(Daniel Ken Inouye、日本名:井上 建)氏は1924年9月7日、ハワイ・ホノルルで福岡県および広島県にルーツを持つ日系移民の家庭に生まれました。彼の生涯は、激動の歴史と人種差別への闘いそのものでした。
1941年12月7日、17歳の高校生だったイノウエ氏は、真珠湾攻撃の惨状を目の当たりにし、赤十字の衛生兵として負傷者の救護にあたりました。開戦後、アメリカ本土の日系人は強制収容所に送られ、ハワイの日系人も「敵性外国人」として厳しい視線にさらされます。その逆境のなか、自らの忠誠心を証明すべく志願兵によって結成された部隊が、日系アメリカ人主体の「第442連隊戦闘団」でした。
欧州戦線に投入された第442連隊は、イタリアやフランスの過酷な戦場で数々の激戦を経験し、米陸軍史上最も多くの勲章を受けた伝説的な部隊となりました。イノウエ氏自身もイタリア戦線での戦闘中、敵の機関銃陣地へ突撃した際に右腕を銃撃されて切断という重傷を負いながらも、手榴弾で陣地を破壊し部下を指揮し続けました。
この英雄的な行動に対し、戦後すぐには人種的偏見から殊勲十字章にとどまっていましたが、後年の再調査を経て2000年、クリントン大統領(当時)より米軍最高位の名誉勲章(Medal of Honor)が授与されました。
戦後はジョージ・ワシントン大学ロースクールを卒業して弁護士となり、ハワイ州昇格後の1959年に日系人初のアメリカ連邦下院議員に当選。1962年には連邦上院議員へと進出しました。ウォーターゲート事件やイラン・コントラ事件の調査委員会で要職を務めるなど、党派を超えた高潔な政治姿勢で国民的な信頼を獲得。2010年には米政界における大統領継承順位第3位となる上院仮議長(President pro tempore)に就任し、アジア系アメリカ人としてアメリカ政治史上最高位の地位に到達しました。