米津玄師はなぜなんJで叩かれない?辛口民も絶賛する「本物の天才」の真相
米津玄師はなぜなんJで叩かれない?辛口民も絶賛する「本物の天才」の真相とはどんな影響があるのか? 背景や要点を丁寧に紐解いて紹介します。
一方で、掲示板には時に「米津玄師、完全に飽きられる」「最近の曲、タイアップばかりで迷走していないか?」といったスレッドが立ち上がることがあります。これらは真実を突いた衰退の兆候なのでしょうか、それともネット特有の様式美なのでしょうか。
結論から言えば、こうした「飽きられた説」の多くは、なんJ特有の逆張りエンターテインメントと、あまりの巨大化に対する戸惑いが生み出した虚像に過ぎません。実際のチャートアクションやストリーミングの再生回数を見れば、映画『君たちはどう生きるか』の主題歌「地球儀」、朝ドラ『虎に翼』の「さよーならまたいつか!」、TVアニメ『チェンソーマン』の「KICK BACK」に至るまで、国民的規模のヒットと国内外のチャートインを途切れなく記録しています。
では、なぜ定期的に「飽きられた」という言説が浮上するのか。そこには2つの要因が存在します。
第1に、楽曲の複雑化とアート志向の深化です。初期〜中期の「Lemon」や「LOSER」のような直線的でキャッチーなアンセムに比べ、近年の楽曲はポリリズムの導入やミニマルな音像構成など、音楽的な実験性が一段と高まっています。一度聴いただけでは全体像が掴みにくい玄人好みの作風が増えたことで、ライト層の一部が「昔の分かりやすい曲調のほうが好きだった」と反応している側面があります。
第2に、ネットカルチャーにおける「愛されネタ化」の反作用です。掲示板では、彼の独特な長身やミステリアスな風貌、印象的な歌詞のフレーズがしばしばコピペ改変の題材にされます。しかし、これらのネタ化は決して悪意に基づく誹謗中傷ではなく、過剰なカリスマ性を持つ対象を身近に引き寄せて消費するためのネットスラング的な親愛の情の裏返しです。「飽きた」と言いつつも新曲のMVが公開されれば秒単位で実況スレが埋まる現象そのものが、関心の高さの証明と言えます。