大仏に命を吹き込んだインド僧・菩提僊那(ボーディセーナ)の真相
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難波津に到着した菩提僊那一行を、驚きと敬意をもって出迎えたのが、民衆を率いて社会事業と布教を行っていた大僧正・行基(ぎょうき)でした。記録によると、二人は初対面でありながら旧知の友のように言葉を交わし、精神的な深い共鳴を果たしたと伝えられています。
平城京に入った菩提僊那は、聖武天皇から手厚い歓迎を受け、官寺の筆頭であった大安寺に居住。宮中から「婆羅門僧正(ばらもんそうじょう)」の尊称を授けられ、僧綱(僧侶の統括組織)の高位に就任しました。
そして天平勝宝4年(752年)4月9日、東大寺盧舎那仏(奈良の大仏)の完成を祝う世紀の大式典「大仏開眼供養会」が挙行されます。参列者1万人を超え、唐、新羅、高麗、果ては南アジアからの賓客が集う国際的な儀礼において、巨大な大仏に筆を入れて目を描き、魂を込める最高責任者「開眼導師」に指名されたのが菩提僊那でした。
当時、病身であった聖武太上天皇や光明皇太后が見守るなか、菩提僊那は巨大な開眼筆に結ばれた長い綱を群臣や民衆とともに握り、大仏に命を宿らせました。大仏発願の精神的柱であった行基が供養会の3年前に他界していたため、行基の遺志を継ぎ、仏教発祥の地・インドの血を引く正統な高僧が導師を務めたことは、天平国家の国際的威信を内外に示す決定打となったのです。