アンチ巨人はなぜ生まれた?嫌われる理由と歴史・心理を徹底解剖
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アンチ巨人の歴史を紐解く上で、避けて通れないのが1970年代から1980年代にかけて発生したドラフト会議をめぐる数々の騒乱です。読売ジャイアンツが球界のルールを自らに都合よく解釈し、強引な手段でスター候補を獲得した出来事は、他球団ファンに「巨人=特権階級の横暴」という強烈な不信感を植え付けました。
その最大の象徴が、1978年に起きた江川事件の経緯です。作新学院から法政大学へ進み、怪物と称された江川卓氏の獲得を狙った巨人は、ドラフト会議前日の「協約の盲点」を突き、ドラフト外での電撃契約を強行しました。いわゆる「空白の一日」事件です。セ・リーグ事務局が無効判断を下すと、巨人はドラフト会議をボイコット。最終的に翌年1月、クラウンライターの指名権を継承した阪神タイガースと江川氏が一度契約を結んだ上で、巨人のエースだった小林繁氏との電撃トレードを行うという政治決着が図られました。当時の特番インタビューや手記において、小林氏が見せた気丈な振る舞いと巨人の冷酷な姿勢の対比は、日本中から猛烈な批判を浴びる引き金となりました。
さらに1985年の桑田真澄のドラフト事件が火に油を注ぎます。PL学園のKKコンビとして甲子園を沸かせた清原和博氏と桑田真澄氏に対し、桑田氏は「早稲田大学進学」を公言して他球団の指名を回避させながら、ドラフト当日に巨人が単独1位指名して密約通りに入団。巨人入りを熱望していた清原氏が会見で涙を流した姿は、多くの野球ファンの胸に刻まれ、「巨人は勝つためなら高校生をも欺くのか」という道義的批判を決定的なものにしました。アンチ巨人はなぜこれほど根深く存在するのかという問いの根底には、こうしたルール無用とも映る強引なエゴイズムへの記憶が横たわっています。