ジャニー喜多川の若い頃と生い立ち|米軍時代や貴重写真から迫る創業の真相
今注目を集めている ジャニー喜多川の若い頃と生い立ち|米軍時代や貴重写真から迫る創業の真相について、多角的な視点を分かりやすく掲載しています。
1950年代初頭、米国籍を保持していたジャニー喜多川氏は、朝鮮戦争の勃発に伴い米軍(アメリカ陸軍)に召集されます。配属されたのは陸軍情報部(MIS)関連の部隊で、その堪能なバイリンガル能力を買われ通訳官としての軍務に従事しました。
約1年半に及ぶ軍務期間中、板門店での休戦交渉に関わる通訳補助や、現地の戦災孤児に英語を教える任務に就いたと記録されています。この過酷な軍務経験は、彼に組織の統率力と徹底したプラグマティズムを植え付けました。
軍務を終えて日本へ戻ったジャニー氏は、上智大学国際学部(現在の国際教養学部の前身)へ進学して学びつつ、駐日アメリカ大使館軍事援助顧問団(MAAG)の事務職員として勤務します。当時の日本はまだ戦後復興の途上にあり、米軍関係者や大使館勤務者は治外法権的な特権と豊かな物資を享受していました。この時代に得た米軍人脈と治外法権的スペースへのアクセス権が、彼の運命を大きく変える舞台を用意することになります。