清渓川はなぜ蘇ったのか?暗渠から観光名所へ劇的復活の真相

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清渓川の歴史は、朝鮮王朝が漢陽(現在のソウル)に都を置いた1394年まで遡ります。自然河川だった清渓川は、雨季のたびに氾濫を繰り返す暴れ川であり、第3代太宗や第21代英祖の時代に大規模な浚渫(しゅんせつ)や護岸工事が行われ、都の基幹排水路として整備されました。

しかし、1950年の朝鮮戦争後、避難民が川沿いにバラック小屋を建てて不法占拠したことで、生活排水やゴミが垂れ流され、一帯は深刻なスラム街と化します。悪臭と伝染病の温床となった清渓川に対し、韓国政府は近代化政策の一環として川の上に蓋をする「暗渠化」を決断。1958年から本格的な覆蓋工事が始まり、1971年にはその真上を覆うように全長5.6kmの「清渓高架道路」が建設されました。川をコンクリートで覆い隠し、自動車専用道路を通す姿は、まさに当時の「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長のシンボルそのものでした。

潮目が変わったのは2000年代初頭です。高架道路の老朽化による安全性の問題が表面化し、維持補修に莫大な費用がかかることが判明します。そこで2002年のソウル市長選挙において、建設会社CEO出身の李明博(イ・ミョンバク)氏が「高架道路を撤去し、清渓川を復元する」という公約を掲げて当選。2003年7月に着工し、わずか2年3ヶ月という異例のスピード工事を経て、2005年10月に現在の清渓川が姿を現しました。

伊藤 翔太

伊藤 翔太

フード&トラベルライター

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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