熊本の難読地名「蔚山町」の謎!加藤清正の歴史と街の今を徹底追究

熊本の難読地名「蔚山町」の謎!加藤清正の歴史と街の今を徹底追究の全体像を分かりやすくまとめてご紹介します。

熊本市電B系統に揺られていると現れる「蔚山町停留場」。初見で正しく読める人は決して多くありません。蔚山町の読み方は「うるさんまち」であり、「いさんちょう」や「うめやまちょう」といった誤読が絶えない難読地名の筆頭格です。

行政区画としては熊本市中央区新町の一角に溶け込んでいますが、かつては独立した町名として地図に刻まれていました。最大の疑問である「蔚山町はなぜ韓国名なのか」という問いの答えは、16世紀末の朝鮮半島へ遡ります。

豊臣秀吉が命じた慶長の役(1597年〜1598年)において、加藤清正軍が朝鮮半島南東部の蔚山(現在の韓国・蔚山広域市)に築城したのが蔚山倭城でした。この地で清正軍は、明・朝鮮連合軍の大軍に完全包囲され、歴史に類を見ない過酷な「蔚山城の戦い」を繰り広げることになります。氷点下の厳冬期、食糧と水を絶たれ、城の土壁を削って食べ、馬を屠り、血をすすって飢えをしのいだという地獄の籠城戦でした。

九死に一生を得て日本へ帰国した清正は、蔚山から連れ帰った陶工、瓦職人、土木技術者、通訳、捕虜たちを熊本城下町の一角に集住させました。異国の同郷人同士が固まって暮らせるよう配慮されたその職人町が、いつしか彼らの故郷の名を取って「蔚山町」と呼ばれるようになったのです。日本の公的な交通インフラの駅名に、400年以上前の朝鮮半島の地名がそのまま残り続けている事例は、全国的にも極めて異例と言えます。

吉田 誠

吉田 誠

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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