二・二六事件の真相と闇|青年将校が暴走した理由と昭和天皇の激怒
二・二六事件の真相と闇|青年将校が暴走した理由と昭和天皇の激怒の概要と注目ポイントをわかりやすく整理しました。
事件から長い年月が経った現在でも、ネット上や歴史ファンの間では「青年将校は操り人形に過ぎず、本当の黒幕がいたのではないか」という議論が絶えません。いわゆる二・二六事件の黒幕として取り沙汰されるのが、皇道派の領袖であった真崎甚三郎大将や、事件に思想的影響を与えた北一輝、西田税らの存在です。
しかし近年の歴史研究や押収資料の精査によれば、真崎大将は将校たちの熱気を利用して権力を握ろうと画策していた節はあるものの、決起そのものを綿密に指示した直接の首謀者ではありませんでした。むしろ、状況が不利と見るや青年将校たちを切り捨てるような保身に走っています。北一輝もまた、決起の連絡を受けて「時期尚早である」と動揺した旨の手記が残されており、「背後で完全に糸を引いていた巨魁」というイメージは後年の創作や誇張が含まれています。
そして、事件後の処理において最も異例だったのが、特設軍法会議の苛烈さです。法治国家の原則を無視したこの裁判の実態は、まさに歴史の暗部と言えます。
二・二六事件の処刑者一覧を検証すると、野中四郎大尉ら事件直後に自決した者を除き、磯部浅一、村中孝次、安藤輝三、渋川善助ら主導者17名が同年7月に代々木陸軍刑務所で銃殺刑に処されました。さらに翌年8月には、直接の襲撃に参加していなかった北一輝と西田税も「叛乱を教唆した」として死刑に処されています。裁判の過程で軍部の失政や派閥抗争の真相が白日の下に晒されることを恐れた陸軍中枢が、彼らの口を封じるために迅速かつ秘密裏に刑を執行したというのが歴史の客観的な事実です。