エレナ・チャウシェスクの真実と銃殺刑|独裁と贅沢に堕ちた最期
エレナ・チャウシェスクの真実と銃殺刑|独裁と贅沢に堕ちた最期の概要と注目ポイントをわかりやすく整理しました。
民衆の不満が限界点に達した1989年12月、西部の都市ティミショアラで始まった反政府デモは、瞬く間に全国へと波及しルーマニア革命へと発展しました。事態を収拾すべく12月21日にブカレストの党本部前で開催された官製集会において、ニコラエの演説中に群衆から怒号とブーイングが巻き起こります。
混乱の中、夫妻はヘリコプターで大統領府の屋上から脱出を図るものの、軍部が革命派に寝返ったことで逃走劇はあえなく頓挫。逃亡先のトゥルゴヴィシテ近郊で国軍に拘束されました。その後、軍事基地内に急遽設置された特別軍事法廷において、チャウシェスクの死刑判決の経緯がわずか数時間の審理で決定づけられたのです。
起訴状に挙げられたチャウシェスク夫妻の処刑理由は極めて重いものでした:
- 大量虐殺罪:反政府デモ参加者をはじめとする国民への無差別武力行使および殺害(起訴状記載で6万人超の犠牲)。
- 国家権力の乱用と国家経済の破壊:国民の基本的生活を破壊し、飢餓と厳冬をもたらした経済犯罪。
- 国家資産の横領と国外逃亡の企て:数十億ドル規模の不正蓄財および海外口座への隠匿。
法廷においてエレナは終始傲慢な態度を崩さず、「私たちは国民にすべてを与えた!」「お前たちのような裏切り者に裁かれる筋合いはない」と怒鳴り散らし、裁判の正当性を一切認めませんでした。