稚内「氷雪の門」の歴史と映画封印の真相|九人の乙女が遺した記憶
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モニュメントの正式な読み方は「ひょうせつのもん」。正式名称を「樺太島民慰霊碑」と呼び、彫刻家の本郷新(ほんごう・しん)が手掛けた高さ約8メートルの巨大なコンクリート製門柱と、中央に配されたブロンズの女性像で構成されています。1963年(昭和38年)8月、全国の樺太引揚者や遺族たちの熱心な募金活動と稚内市の協力によって建立された経緯を持ちます。
門の形状は「望郷の門」を、中央の女性像は「過酷な寒さと雪の中で力強く生き抜いた樺太島民の姿」を象徴しています。両脇の門柱の間からは、海を隔てて約43キロメートル先に位置するサハリンの島影を望む構造になっており、二度と戻ることのできない故郷の地へ祈りを捧げるための視線が綿密に計算されています。
1905年の日露戦争後のポーツマス条約により、北緯50度以南の南樺太は日本の領土となり、最盛期には約40万人もの日本人が暮らす豊かな街が築かれていました。しかし、1945年8月の敗戦に伴う混乱と悲劇により、多くの島民が命を落とし、住み慣れた土地を追われることとなりました。「氷雪の門」は、単なる観光記念碑ではなく、異国の地で斃れた全同胞への鎮魂と平和への誓いを具現化した歴史遺産です。