藤田嗣治『アッツ島玉砕』の真相|なぜ名画は画壇追放の標的となったか
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1943年秋、上野の東京都美術館で開催された展覧会で『アッツ島玉砕』が公開された瞬間、展示会場で起きた現象は、戦意高揚イベントとは完全にかけ離れたものでした。当時の来場者の手記や新聞報道の記録によると、絵の前に立った人々は誰一人として歓声を上げず、ただ沈黙して涙を流し、深々と頭を垂れたといいます。
誰からともなく絵の足元にお賽銭が投げ込まれ、白菊の花束が供えられました。そこは戦勝を誇る展示場ではなく、愛する息子や夫を喪った遺族たちが魂を慰めるための「仮の墓標」へと変貌していたのです。藤田自身も後年、手記の中で「私は神仏を描くような厳粛な祈りの心で筆を握った」と述懐しています。
そして現在、この作品は東京・竹橋のアッツ島玉砕 東京国立近代美術館(MOMAT)に収蔵されています。アッツ島玉砕 現在 展示の状況について取材すると、同館の所蔵品展「MOMATコレクション」において、企画展のテーマや保存修復のローテーションに合わせて定期的に公開されています。
2026年現在の展示室に足を踏み入れると、80年以上前のキャンバスとは思えないほどの異様な絵肌の迫力に圧倒されます。展示室の薄暗いスポットライトの下、立ち止まる現代の若者や外国人観光客の多くが、言葉を失って画面の細部を凝視しています。SNS上でも「教科書で見るのと実物では全く違う」「おびただしい死者たちの呻き声が聞こえてくるようで鳥肌が立った」といったリアルな声が絶えず投稿されており、絵画が放つ呪術的なまでの鎮魂のリアリティは、時代を超えて鑑賞者の精神を射抜き続けています。