中部地方の県庁所在地一覧!愛知や石川の不一致理由と暗記の極意
話題沸騰中の 中部地方の県庁所在地一覧!愛知や石川の不一致理由と暗記の極意について、多角的な視点をご紹介しています。
「愛知=名古屋」「石川=金沢」「山梨=甲府」。この3つの組み合わせについて、学校現場やクイズ番組で頻繁に取り上げられるのが「明治政府に反抗した旧幕府側(賊軍)の藩は、県名と都市名を変えられた」という俗説です。しかし、歴史学研究者による公文書検証では、この説は完全に否定されています。尾張徳川家の名古屋藩は官軍側として戊辰戦争を戦っており、加賀藩前田家も新政府側へ恭順していました。懲罰説では合理的な説明がつきません。
実態は、1871年(明治4年)の廃藩置県から翌年にかけて行われた行政整理と「郡名採用の原則」に起因しています。明治政府は旧藩の枠組みを解体し、封建制の象徴であった旧城下町の名称をそのまま県名にすることを避け、県庁が置かれた「郡」の名称を県名に採用する方針を基本としました。
愛知県と名古屋市:城下町解体と郡名採用の経緯
廃藩置県直後、尾張国には当初「名古屋県」が設置されました。しかし、徳川御三家の筆頭であった尾張徳川家の威光や「城下町・名古屋」という旧体制の支配イメージを払拭するため、明治政府は1872年(明治5年)4月、県庁所在地の郡名であった愛知郡(あいちぐん)を取って「愛知県」へと改称しました。さらに同年11月、三河国を管轄していた額田県(ぬかだけん)を編入合併した際も、主導権を握る新県名として「愛知県」が継続され、庁舎は利便性の高い旧名古屋城下に据え置かれたのです。
石川県と金沢市:短期間の庁舎移転が残した名称
加賀百万石の都であった金沢も、最初は「金沢県」としてスタートを切りました。しかし1872年(明治5年)2月、県庁が金沢から約15キロ南西に位置する石川郡美川町(現在の白山市美川地区)へ一時的に移転させられます。この移転に伴い、郡名を採用して「石川県」へと改称されました。移転の理由は「港町である美川の通商上の重要性」や「県域の中央部に配置する実務的配慮」であったと記録されています。わずか1年足らずで事務効率の悪さから県庁は金沢へ戻されましたが、一度定着した「石川県」という名称はそのまま存続することになりました。
山梨県と甲府市:「甲府」という都市名の特殊性
山梨県の場合、都市名「甲府」自体の成り立ちが大きく関わっています。甲府とは古くからの固有地名ではなく、戦国時代に武田信虎が躑躅ヶ崎館を構えた際、「甲斐国の府中(中心地)」を略して命名された呼称です。明治維新期、甲府城下には「甲府県」が置かれましたが、1872年(明治5年)の府県再編において、県庁が置かれていた山梨郡(甲府城東部周辺)の名称を採用して「山梨県」へと改称されました。律令国名である「甲斐」でもなく、城下町呼称の「甲府」でもなく、足元の郡名を選び取った結果が生んだ不一致です。