急がば回れの意味と語源とは?琵琶湖の危険な舟と瀬田の唐橋の真実
急がば回れの意味と語源とは?琵琶湖の危険な舟と瀬田の唐橋の真実についての真相をご紹介します。
「急がば回れ」のルーツをたどると、室町時代後期の連歌師・柴屋軒宗長(さいおくけん そうちょう)(連歌の大家・飯尾宗祇の弟子)が残した一首の短歌(狂歌)に行き着きます。当時、東海道を行き交う旅人たちの間で広く人口に膾炙していた情景を詠んだものです。
「武士(もののふ)の 矢橋(やばせ)の船は 速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋(唐橋)」
―― 宗長集(室町時代)
当時、東国から京都へ向かう旅人には、現在の滋賀県草津宿から大津へと抜ける際に2つのルートが存在しました。
1つ目は、草津の「矢橋の渡し(やばせのわたし)」から琵琶湖を船で一気に横断するショートカットルートです。水上距離は約6キロメートル。舟に乗って順風が吹けば、わずかな時間で大津へ渡ることができました。
2つ目は、琵琶湖の南端まで陸路を歩き、「瀬田の唐橋(せたのからはし)」を渡って大津へ向かう迂回ルートです。陸路の距離は約16キロメートル。舟を使うルートの2.5倍以上の距離を歩く必要がありました。
一見すると水路のほうが圧倒的に早く目的地に着けるように思えます。しかし、琵琶湖には比叡山から突然吹き下ろす激しい突風「比叡颪(ひえいおろし)」が存在しました。天候が急変すれば船は出航を見合わせ、何時間も足止めを食らうばかりか、無理に出航すれば転覆して命を落とす危険性すらあったのです。
結果として、「歩けば時間はかかるが、風に左右されず確実に着ける瀬田の唐橋を渡るほうが、結果的に一番早く安全に京都へ着く」という旅人の知恵が定着しました。これが「急がば回れ」という言葉の決定的な起源です。