キングダム麃公将軍の強さと史実!龐煖戦の最期と盾の継承を徹底解剖

キングダム麃公将軍の強さと史実!龐煖戦の最期と盾の継承を徹底解剖にまつわる最新トピックを詳しく紐解きます。

作中で圧倒的な野生のカリスマを放つ麃公将軍ですが、フィクションのオリジナルキャラクターではなく、中国の正史『史記』にその名を残す実在の武将です。

司馬遷が編纂した『史記』の「秦始皇本紀」には、秦王・政(後の始皇帝)の即位初期に関する記述の中に、麃公の名がはっきりと刻まれています。

「二年、鰲政初即位……麃公将兵攻巻、斬首三万。」(始皇二年、麃公は兵を率いて巻を攻め、首級三万を斬る)
「四年、抜暢・ recon……麃公卒。」(始皇四年、麃公卒す)

史実における麃公の主な記録は以下の通りです。

  • 紀元前245年(始皇2年):将軍として軍を率いて魏の要衝「巻(けん)」を攻略。敵兵3万人を斬首する大戦果を挙げた。
  • 紀元前243年(始皇4年):この年に死去した旨が記録されている。

当時の戦乱において「3万の首級を挙げる」というのは極めて巨大な武功であり、麃公が秦国において主力を担うトップクラスの大将軍であったことは間違いありません。昭襄王、孝文王、荘襄王、そして始皇帝と秦国4代の君主に仕えた歴戦の重鎮であったことが窺えます。

作中では、この史実の「始皇4年の死去」という史料の空白・年号の重なりを、原泰久氏が奇跡的な構成力で合従軍編のクライマックス(蕞への追撃戦)へと昇華させ、不朽の名シーンを生み出しました。

木村 陽翔

木村 陽翔

テックライター兼ウェブディレクター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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