鳴かぬなら殺してしまえホトトギスは信長作じゃない?本当の作者と歴史の真相

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歴史クイズや雑談の場で「鳴かぬなら誰が言ったのか?」という問いに対し、「織田信長」と即答してしまう人は今なお少なくありません。しかし結論から言えば、作者は後世の無名の人々、あるいは江戸時代の文人たちです。本人が発した記録は、一次史料である『信長公記』にも一切存在しません。

この表現が公の記録として登場する決定的な文献が、江戸時代後期の平戸藩主・松浦静山(まつら せいざん)が著した膨大な随筆集『甲子夜話(かっしやわ)』(1821年起筆)です。文政4年から約20年間にわたり書き継がれた同書の巻之五十三に、次のような興味深い一節が収められています。

「ある人が語った話として、人の気質を譬えるのに、信長公・秀吉公・家康公の三人がホトトギスが啼かないのを聞いたときの反応を詠んだ歌がある」として、以下の三句が紹介されているのです。

「なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府」
「鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊太閤」
「なかぬなら鳴まで待よ郭公 神祖」

松浦静山自身も「ある人が言った」と伝聞形式で記しており、静山自身の創作ではなく、当時すでに江戸の町人や知識人の間で語り草となっていた小話・落首(らくしゅ)を書き留めたに過ぎません。さらに遡ると、江戸中期の川柳集や狂歌集のなかにも類似の言い回しが散見されることから、庶民の間で流布していた武将のキャラクター付けが、知識人の手によって文書化されたというのが学術的な共通見識となっています。

また、これらは五・七・五の定型詩であるものの、風流や季語を重んじる「俳句」ではなく、人間の心理や世相を面白おかしく切り取った「川柳・狂歌」のジャンルに属するものです。戦国武将のホトトギスの由来は、戦場の緊迫感とはまったく無縁の、泰平の世を楽しんでいた江戸庶民のユーモアから生まれました。

山下 哲也

山下 哲也

自動車・モビリティライター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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