平民宰相・原敬の出身地・盛岡で発見された幼少期の秘話と覚悟
平民宰相・原敬の出身地・盛岡で発見された幼少期の秘話と覚悟の概要と注目ポイントを一挙に解説しました。
1900年、伊藤博文を総裁として立憲政友会が結成されると、原敬は幹事長として組織の拡大に奔走した。地方のインフラ整備や産業振興と結びついた党勢拡大策は、全国に強固な支持基盤を構築することに成功する。
伊藤の引退後、党のリーダーシップを握った原は、1918年に第19代内閣総理大臣に就任した。衆議院に多数派の基盤を持つ与党党首が首相に就任し、閣僚の多くを衆議院議員で固めたこの内閣は、日本の政治史における画期的な転換点となった。
爵位を固辞し続け、衆議院議員の身分にこだわり続けた原は、国民から「平民宰相」と親しみを込めて呼ばれた。彼が推進した鉄道網の拡張や高等教育機関の拡充は、日本近代化の基盤を確固たるものにし、政党政治の黄金期を切り拓いた。