鼻が高いの意味と語源とは?鼻にかける・天狗になるとの決定的な違い

鼻が高いの意味と語源とは?鼻にかける・天狗になるとの決定的な違いに関する疑問や疑問点をわかりやすくまとめました。今すぐチェックことができます。

ネット上の質問サイトやSNS上では、「自分の偉業に対して『私は鼻が高い』と言ってもよいのか」という疑問が定期的に議論の的となります。

言語学的な定義から言えば、辞書にも「得意であるさま」とある通り、自分自身の成功に対して用いること自体は文法的な間違いではありません。文学作品や歴史的書簡の中にも、自らの成し遂げた成果を誇って「鼻が高い」と記述している実例は存在します。

しかし、言葉の受け止め方に関する意識調査やビジネスマナーの現場検証を行うと、現代日本においては「自分のことではなく、自分と関係のある他人の活躍に対して使う」スタイルが圧倒的な支持を集めています。自分の成功を自ら「鼻が高い」と公言すると、聞き手には「自画自賛」「鼻にかけている」という印象を与えかねないという懸念が働くためです。

「息子の快挙に鼻が高い」「教え子の受賞は師匠として鼻が高い」という使い方が心地よく響くのは、主語となる人物が他者の功績を称えつつ、その関係性を誇らしく思っているという精神的な上品さが担保されているからです。慣用句の正しい使い方を実践する上では、自分単独の手柄には「誇りに思う」「胸を張れる」と述べ、他者との絆の中にある誇りに対して「鼻が高い」を選択するのが最も無難で洗練されたアプローチと言えます。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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