相模湖ホテルローヤルの現在と閉鎖理由|解体の噂や心霊説の真相【2026】
相模湖ホテルローヤルの現在と閉鎖理由|解体の噂や心霊説の真相【2026】の見逃せないポイントを一挙に解説しました。
ホテルローヤルが廃墟に至った経緯を紐解くには、昭和から平成にかけての相模湖周辺の観光産業の盛衰を理解する必要があります。
1960年代後半から1970年代にかけて、相模湖は東京都心から手軽にアクセスできる一大レジャー拠点として黄金期を迎えました。遊覧船やボート遊び、遊園地(さがみ湖ピクニックランド、現・さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト)の開業に伴い、中央自動車道の相模湖IC開通も相まって、湖周辺には多数のドライブインやモーテル、ラブホテルが次々と建設されました。ホテルローヤルもそうしたモータリゼーション黎明期の波に乗り、昭和レトロな豪華内装を売りにした宿泊施設として多くの利用客を集めました。
転機が訪れたのは1980年代後半から1990年代にかけての構造変化です。道路網の発達によって観光客の目的地が山中湖・河口湖や伊豆・箱根方面へと遠距離化し、相模湖は「目的地」から「単なる通過地点」へと変化していきました。さらに、1985年の風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(新風営法)の施行や、1990年代初頭のバブル崩壊が追い打ちをかけます。
老朽化した設備の更新投資を行えなくなった小規模なホテルは次々と採算割れに陥り、ホテルローヤルも1990年代後半に事業継続を断念。後継者不在や建物の処分費用の問題から、そのまま解体されることなく放置される結果となりました。