六代目山口組・髙山清司の現在|分裂抗争の終局と体調説の真相

六代目山口組・髙山清司の現在|分裂抗争の終局と体調説の真相の全貌を分かりやすくまとめてご紹介します。

髙山清司がいかにして山口組の最高権力へと登り詰めたのか。その歩みを紐解くには、昭和から平成にかけての血筋と抗争の歴史を振り返らねばなりません。髙山清司の経歴の原点は、三重県津市での青年期を経て、名古屋を拠点とする初代弘田組傘下の佐々木組に加入したことに始まります。そこで運命的な出会いを果たしたのが、後に六代目組長となる司忍でした。

1984年、司忍とともに「弘道会」を設立。髙山はその下で卓越した組織構築力と財政手腕を発揮し、弘道会を瞬く間に中部地方屈指の巨大組織へと育て上げました。従来の任侠組織にありがちだった情緒的な親分・子分の結びつきだけでなく、企業的な上意下達システムと「警察に屈しない、内情を語らない」鉄の結束を組織内に徹底させたのが、髙山の手腕だったと関係者は証言します。

2005年、司忍が六代目組長を継承すると同時に、髙山は異例の速さで「六代目山口組若頭」へ就任しました。しかし、就任直後に司忍が銃刀法違反罪で収監されるという非常事態に直面。この不在期間中、山口組の全権を事実上一手に握り、巨大組織の舵取りを担ったことで、髙山の権力基盤は不動のものとなったのです。その後、自身も恐喝罪に問われ府中刑務所に下獄することになりますが、その獄中にあった2015年に起きたのが、弘道会支配への反発に端を発する「神戸山口組」の離脱でした。

山本 拓海

山本 拓海

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest