原敬の出身地と波乱の生い立ち|平民宰相が歩んだ激動の生涯を追う
原敬の出身地と波乱の生い立ち|平民宰相が歩んだ激動の生涯を追うの全体像を詳しく解説してご紹介します。
政権の頂点を極めた原敬でしたが、その最期はあまりにも突然訪れました。1921年(大正10年)11月4日、関西で行われる政友会近畿大会へ出席するため、東京駅の乗車口(現在の丸の内南口)に向かっていた原敬は、突如現れた19歳の青年・中岡艮一(大塚駅転轍手)に短刀で胸を刺され、ほぼ即死状態で非業の死を遂げました。
暗殺の動機には、政友会による利権政治への批判、普通選挙導入の見送りに対する世論の不満、宮中某重大事件をめぐる右翼勢力の反発などが複雑に絡み合っていました。現職総理大臣が暗殺されたこの事件は、日本中を大きな震撼に包みました。
原の死後、全67巻にも及ぶ膨大な『原敬日記』が公開されました。そこには明治・大正期の権力中枢における生々しい政局の舞台裏や、天皇・元老との緊迫したやり取りが克明に記録されており、近代日本史研究において第一級の貴重な史料として今なお重宝されています。