聖徳太子の本名はなぜ厩戸皇子?教科書から消えた理由と実在説の真相
聖徳太子の本名はなぜ厩戸皇子?教科書から消えた理由と実在説の真相の真相について、最新情報を基に徹底解説します。
私たちが親しんでいる「聖徳太子」という呼び名は、実は本人が生きている間には一度も使われていませんでした。この呼称は本名(実名)ではなく、死後百年近くが経過した奈良時代以降に贈られた尊称(諡号・追号)です。生前の本名は「厩戸(うまやど)」であり、大和朝廷の宮廷社会では「厩戸王(うまやどのおう)」、あるいは平安期以降の通称として「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」と呼ばれていました。
ここで疑問が生じます。なぜ「皇子」ではなく、学界や現在の教科書では「厩戸王」という表記が重視されるようになったのでしょうか。その背景には、古代日本の皇室制度に関する緻密な歴史考証があります。「皇子」という概念は、701年の大宝律令など律令制度が確立した後に法制化された身分標識です。聖徳太子が生きた6世紀末から7世紀初頭の推古朝においては、天皇の子や有力な王族は一般に「王(おおきみ・みこ)」と呼ばれていました。当時の実態をより正確に反映する歴史用語として、学術的には「厩戸王」と呼ぶのが最も自然であるという合意が形成されたのです。
さらに正式な名乗りとしては、日本書紀に記された「上宮厩戸豊聡耳命(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこと)」をはじめ、住まいであった上宮(上宮宮)にちなむ「上宮王(じょうぐうおう)」など複数の呼び名が存在します。「聖徳」という言葉そのものは「聖(ひじり)の徳を持つ優れた指導者」を意味する漢語の称賛辞であり、751年に成立した日本最古の漢詩集『懐風藻』や、仏教経典の注釈書などを通じて定着していきました。つまり、私たちが長年覚えてきた聖徳太子という名は、古代の人々がその偉業を称賛するために捧げた「歴史的モニュメントとしての愛称」だったのです。