なぜ宮崎が新婚旅行の聖地になった?昭和のブーム真相と2026年最新リゾート
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かつて宮崎が「ハネムーンのメッカ」と呼ばれた背景には、偶然ではなく綿密に計算された観光戦略と、日本の高度経済成長期がもたらした社会的熱狂が存在していました。昭和のブームを語る上で欠かせないのが、1960年(昭和35年)の歴史的な出来事です。
昭和天皇の第五皇女・清宮貴子内親王と旧薩摩藩主家出身の島津久永氏のご成婚に際し、新婚旅行先として選ばれたのが宮崎でした。当時「ミッチー・ブーム」に続く皇室慶事として日本中が熱狂していた時代、南国の太陽を浴びて仲睦まじく歩まれるお二人の姿は、連日テレビや新聞で大々的に報道されました。これにより、「新婚旅行といえば宮崎の青島や日南海岸」という強烈な憧れのイメージが国民の脳裏に深く刻み込まれたのです。
しかし、皇室の来県だけでブームが定着したわけではありません。その土台を築き上げたのが、「宮崎の父」と称された宮崎交通創業者・岩切章太郎氏の構想力でした。岩切氏は「自然を愛し、自然に親しむ」という理念のもと、早くから日南海岸にフェニックス(カナリーヤシ)を植樹し、日本にいながらハワイや南欧の地中海を思わせる異国情緒溢れる景観を人工的にプロデュースしました。さらに1939年には「こどものくに」を開園し、青島神社周辺を一大観光拠点へと整備していったのです。
宮崎県観光協会の保存資料や当時の鉄道統計によると、1970年代前半(昭和40年代後半〜50年代初頭)のピーク時には、全国で年間におよそ100万組誕生していた新婚夫婦のうち、なんと約35%〜37%が宮崎を訪れていたと記録されています。宮崎空港には連日、新婚旅行ツアー客を乗せたYS-11旅客機が降り立ち、青島神社の参道には記念撮影を待つ新婚カップルが何重もの列を作りました。当時はまだ海外渡航が一般層にとって高嶺の花であった時代、「国内で最も身近に南国情緒を味わえる桃源郷」として、宮崎は時代の要請に完璧に合致していたのです。