横浜中華街の知られざる歴史|開港の起源から激動の復興ドラマを追う
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順調に見えたコミュニティの形成ですが、その歩みは度重なる壊滅的打撃との戦いでもありました。最大の悲劇が1923(大正12)年9月1日の関東大震災です。レンガ造りや木造が密集していた南京町は激しい揺れと直後の火災により一瞬にして灰燼に帰しました。居留していた華僑の多くが命を落とし、生き残った人々も着の身着のままで一時帰国を余儀なくされるなど、街は一度完全に壊滅しました。
しかし、ここで街の息の根は止まりませんでした。横浜の華僑たちは相互扶助の精神を発揮し、被災者の救護と街の再建へ立ち上がります。震災の傷跡が癒えぬまま突入した日中戦争から太平洋戦争期には、外国人政策による厳しい監視や物資統制を受け、店舗の多くが看板を下ろさざるを得ない冬の時代を経験しました。1945年の横浜大空襲でも市街地は再び焦土と化します。
戦後、瓦礫の中から立ち上がる転換点となったのが、1955(昭和30)年の出来事でした。復興の象徴として大通り入口に初代のアーチ門が建設され、門には隣国との融和と平和を願う言葉「善隣友好」が刻まれました。これこそが善隣門の由来であり、掲げられた扁額に初めて「中華街」の文字が刻まれた瞬間でした。長年呼ばれた「南京町からの変遷」を経て、街は名実ともに「横浜中華街」として新たなアイデンティティを獲得したのです。