ジャニーズ歴史年表|創業から解体・Starto移行までの全軌跡

ジャニーズ歴史年表|創業から解体・Starto移行までの全軌跡にまつわる最新トピックを詳しく紐解きます。

ジャニーズ事務所の繁栄を裏側で支え、同時にその破滅を決定づけたのが、創業者・ジャニー喜多川氏の絶対的な権力でした。1931年ロサンゼルス生まれの同氏は、卓越した審美眼とプロデュース能力で少年たちをスカウトし、自らの美意識を投影したステージを作り上げました。「ユー、やっちゃいなよ」という名台詞とともに、子どもたちに成功への切符を与える全能の神として君臨したのです。

しかし、その陰で長年にわたり繰り返されていたのが、未成年タレントに対する深刻な性加害でした。1999年に『週刊文春』が敢行した大型キャンペーン報道に対し、事務所側は名誉毀損で提訴。しかし2003年の東京高裁判決、そして2004年の最高裁上告棄却により、「性加害の事実に関する記述は真実である」との司法判断が確定していました。当時、司法記者クラブに所属していた大手新聞や民放テレビ各局は、この重大な判決をベタ記事(社会面の片隅の小さな記事)で処理し、ワイドショーは一切沈黙を守りました。

転換点となったのは、同氏の死から4年が経過した2023年3月、英BBCが放送したドキュメンタリー『J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル』でした。直後の4月には、元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト氏が日本外国特派員協会で実名・顔出しによる記者会見を敢行。当時の被害実態を克明に証言したことで、国内メディアももはや黙殺できなくなりました。

第三者特別調査委員会が公表した報告書では、被害申告者が数百人規模に上ること、姉のメリー喜多川氏による隠蔽、そしてメディアやスポンサー企業による「沈黙の共犯関係」が容赦なく指弾されました。SNS上では「推しを信じたい」と願うファンコミュニティの悲痛な叫びと、人権侵害を放置し続けた構造に対する怒りが交錯。同年9月と10月の2度にわたる記者会見を経て、社長だった藤島ジュリー景子氏は辞任、61年続いた「ジャニーズ」の屋号は完全に消滅することとなったのです。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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