忌野清志郎『カバーズ』発売中止の真相と名盤が放ち続ける痛烈な警鐘

忌野清志郎『カバーズ』発売中止の真相と名盤が放ち続ける痛烈な警鐘に関する主要なデータを丁寧に解説いたします。

東芝EMIに契約を盾に封殺されかけたRCサクセションを救ったのは、キティレコードの創業者・多賀英典でした。多賀は作品を聴き、その音楽的完成度の高さとロックとしての気骨に惚れ込み、原盤の引き取りとリリースを即決しました。こうして1988年8月15日、終戦記念日というこれ以上ないタイミングで世に出た『カバーズ』は、レコード店に長蛇の列を作り、RCサクセションにとってキャリア初となるオリコンチャート1位を記録しました。

しかし、騒動はこれで収束しませんでした。メディア側による自粛や放送拒否が相次いだのです。特にFM東京(現・TOKYO FM)などの主要放送局が『サマータイム・ブルース』などのオンエアを自粛・規制したことに対し、清志郎の怒りは頂点に達します。

その怒りは、ヘルメットに覆面姿の別名義バンド「THE TIMERS(ザ・タイマーズ)」の結成へと発展しました。1989年10月13日、フジテレビ系の音楽生番組『ヒットスタジオR&N』に出演したタイマーズは、リハーサルとは全く異なる未発表曲を突然演奏。FM東京の局名と担当プロデューサーを名指しし、放送禁止用語を交えた過激な罵倒ソングを生放送で絶叫しました。この「FM東京事件」は生放送のスタジオを騒然とさせ、日本のテレビ史に残るゲリラ的抗議アクションとして語り継がれることになります。『カバーズ』の発売中止は、清志郎というアーティストの表現衝動に完全に火をつけた契機だったのです。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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