元関脇寺尾の真実|炎の突っ張りと早すぎる死、錣山部屋に遺した魂
元関脇寺尾の真実|炎の突っ張りと早すぎる死、錣山部屋に遺した魂にまつわる最新トピックを詳しく紐解きます。
寺尾常史(本名・福薗好文)の相撲人生は、深い家族愛と宿命から始まりました。父は元関脇・鶴ヶ嶺、長男が鶴嶺峰、次男が元関脇・逆鉾という、まさに相撲界のサラブレッド「井筒3兄弟」の末弟として誕生。しかし、入門直前の1979年5月、最愛の母・節子さんが41歳の若さで急逝します。深い悲しみの中、「母の名前を大銀杏とともに天下へ轟かせる」と誓い、母の旧姓である「寺尾」を四股名に選んだエピソードは、彼の原点として今も語り継がれています。
入門当時の体重は80キロ台。当時の関取の平均体重が140キロを超えていく中、力士としては致命的な軽量でした。しかし寺尾は逃げの相撲を選びませんでした。父から直伝された基本の徹底と、寝食を削るほどの猛稽古によって、回転寿司の皿のように繰り出される超高速の「突っ張り」を体得。立ち合いの鋭い踏み込みから繰り出される回転の速い連打は、大型力士の懐に飛び込ませず、土俵外へと押し出す必殺の武器へと昇華しました。
甘いマスクから「角界の貴公子」「イケメン力士」としてメディアの脚光を浴びましたが、その素顔は誰よりも泥臭い求道者でした。「顔で相撲を取っているのではない。土俵の上で死んでもいい覚悟で立っている」と当時の手記で振り返っていた通り、美貌の裏には擦り傷と青あざが絶えない過酷な日常がありました。