唱歌『富士の山』に隠された歴史と歌詞の真意!日本一の理由を徹底解明
唱歌『富士の山』に隠された歴史と歌詞の真意!日本一の理由を徹底解明を徹底追究! 読者が気になる 重要ポイントを凝縮して配信します。
本楽曲が世に出たのは、1910年(明治43年)に文部省が発行した『尋常小学読本唱歌』でした。当時の日本は近代化が進む中で、子どもたちに誇りと情操を育むための新たな唱歌教育を推し進めていました。
作詞を手掛けたのは、日本近代児童文学の草分け的存在である巌谷小波(いわや さざなみ)です。小波は民話の再編や児童雑誌『少年世界』の主筆として知られ、子どもたちの心に真っ直ぐ届く平易でリズミカルな日本語を紡ぎ出す天才でした。擬人化(「からだに雪のきもの着て」など)を取り入れつつ、威厳を失わせない筆致は見事というほかありません。
一方、作曲者については公式記録上「文部省唱歌」としてまとめられており、長年「不詳」とされてきました。編纂委員であった音楽家・北村季晴(きたむら すえはる)が作曲に関与したという説が有力視されていますが、委員会の合議によって作られた経緯もあり、特定の個人名が単独でクレジットされない形をとっています。この匿名性こそが、個人の作品を超えて「国民共通の歌」として定着した一因ともいえます。